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薬草クラブ インチンコウ(茵陳蒿)

カラワヨモギ(キク科)Artemisia capillaries thumb.ex Murray

漢名:茵蔯蒿(中国ではロゼフト葉を綿茵蔯、日本では頭花序を茵陳とする)

川原に生えるヨモギという意味で、この和名ができたが、もち草に使うヨモギとは、薬効の点では全く違います。生薬名茵蔯蒿は、絹毛の根出葉が冬にも枯れず、春先になると、これから新しい葉や茎が伸びるので、古い(蔯)苗がもと(因)になって、新しいヨモギ(蒿)が出たという意味でつけられました。

夏、花穂ができたころに全草を刈り取り、陰干しにする。からからに乾燥したら、手でもみ花穂だけを集めます。

茵蔯蒿はキク科の植物で、新芽は野菜になります。

洪舜兪の『老画賦』に「紫薑(ショウガ)の根の薄切りを粕漬けにし、茵蔯の細切りを酢漬けにする」と書かれています。

李時珍は、「江蘇省揚州市の人は今でも2月2日に野の茵蔯の若苗を採り、粉をまぶせ、ヨモギ餅を作って食べる。」と言っており、中国の民間では米の粉でヨモギ餅や団子を作る習慣がまだあります。茵蔯を食用にするには新芽を採るが、成長した物は茵蔯蒿として薬用にします。

そこで、「三月茵蔯、五月蒿」という言い方があります。

中国の医薬の古典『神農本経』に「風寒湿熱、邪気、熱結、黄疸を主る。久しく服すれば身を軽くし、気を益し、老に耐える。」

『名医別録』に「微寒、無毒。通身の発黄、小便不利を主治す。頭熱を除き、伏瘕(ふくか)を去り、久しく服すれば

面は白くし、悦にし、年を長ず。」

茵陳蒿はカワラヨモギで、綿茵陳は春先に出るヨモギの葉のように毛の多い若葉で、神農本径の時代にはこれが使われていました。現在は、秋に咲く花穂を用います。

古来、黄疸の聖薬とされましたが、黄疸症状がなくても皮膚炎の痒みや赤味がある時に効果があります。

近代の研究では、秋に収穫した果穂つきの茵蔯蒿は、有効成分の含有量が最も多く、治療効果も新芽(綿茵蔯)よりよい事が証明されています。

 

茵陳(インツェン) (繆文渭著『中国の民話』)

あるところに黄疸にかかった人がいました。顔色は生姜色に黄ばみ、目もくぼんで、蟷螂(かまきり)のように痩せ細ってしまいました。

ある日、その病人は杖にすがり、やっとのことで名医の華佗(かだ)のところにやってきました。

「先生、どうか病気を治して下され」

華佗は一見して黄疸とわかりました。

「黄疸はどこの医者にも治せない。わたしもこの病気にはお手あげなのだ」

病人は、華佗でさえ治せないと聞いて、すっかり気を落とし、悲しげにすごすごと帰って行きました。ただ死をまつほか仕方がなかったからです。

それから半年ほどたってからのことです。華佗が道を歩いていますと、偶然あのときの病人に出会いました。その病人は死ななかったばかりか、血色もよくなり、すっかり丈夫になっていました。華佗はたいそう驚いてたずねました。

「お前さんの病気は、いつどこの医者に治してもらったのかね。早く教えてくれないか。教えをこいに行きたいのだ」

「お医者には診てもらっていません。自然に治ったのです」

と言います。華佗はとても信じられないというまなざしでなおもたずねます。

「そんなことがあるものかね。きっと何か薬を飲んだにちがいない」

「薬など飲んでいません」

「不思議なこともあるものだ!」

華佗はしきりと首をかしげています。するとその人は言いました。

「春さきに、穀物が底をついてしまったので、野草を食べておったのです」

「それだ、それだ。草の中には薬になるものがあるからね。それでどんな草をどの位食べていたのかな」

「草の名は何というのか知らぬが、かれこれ一ヶ月は食べていたかな」

華佗はどんな草を食べていたのか知りたくて、案内を求めました。

二人は山へ登り、山腹へでました。その人はあたりに生えている草をさして、この草を食べていたのだと華佗に言いました。

「これは蓬(よもぎ)じゃないか。これで黄疸がなおせるとは。よし、少し持ち帰って試してみるとしよう」

華佗は黄疸の患者に蓬をあたえました。しかし、何度食べてもらっても症状がよくなる気配はありません。華佗はいつかの病人がほかの野草とまちがえて教えたにちがいないと思い、再度訪ねていきました。

「お前さんは本当に蓬を食べてよくなったのかね?」

「そうですとも、間違いなくあの草です」

と言います。

華佗はしばらく考えていましたが、

「お前さんが蓬を食べたのは何時(いつ)ごろだったのかな?」

「三月(旧暦)でしたかな」

「そうか。春の三月といえば陽気が立ち込め、もろもろの草が芽を出すころだ。ひょっとすると、三月の蓬には薬効があるかも知れんぞ」

翌年の春、華佗は旧暦三月の蓬を摘んで、黄疸の患者にあたえました。こんどはよく効きました。どの患者も目に見えて良くなっていきます。しかし、春が過ぎてから摘んだ蓬は全く効き目がありませんでした。

華佗は、蓬の薬効について調べるために、その翌年も試してみました。月ごとに蓬を採ってきて、根、茎、葉を別々に分けて保存し、病人にあたえました。その中で出始めの柔らかい葉と茎だけが黄疸を治す薬として使えることを知ったのです。

華佗は、人びとが区別しやすいようにと考え、出始めの柔らかい蓬を「茵陳」と名づけ、次のような句をつくりました。

三月の蓬は茵陳、四月のはただの蓬

のちの人にもしっかり覚えてもらおう

三月の茵陳は病気を治す

四月の蓬は薪(たきぎ)として燃やすだけ