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薬草クラブ ヤマイモ

 

ヤマイモ・山薬(ヤマイモ科)D, japonica THUNB、

 

[気味]甘、涼

[帰経]脾・肺・腎

[主治]腎気を益し、脾胃を健にし、腹下しを止め、痰・涎を化し、皮・毛を潤す。(健脾補気・滋陰潤肺・和胃調中・益精固腎・滋養強壮)。

 

日本特産の山野に自生するヤマノイモ科の多年生蔓草で、とろろ芋をつくる芋であり、同じように肉質の根を食用にすることから長芋と間違われやすいが、こちらは中国が原産で畑で栽培されます。

それと区別するため山芋を自然生と呼ぶ。またサトイモに対しては自然薯といい、いずれもジネンジョと発音すします。

トロロ汁にしてご飯にかけて食べれば強壮になり、消化がよく、栄養価が高い。自然薯の外側をむき、乾燥したものを山薬といい、滋養強壮に用いられます。

 

葉腋から枝が出るべきところに球形または楕円球形のムカゴを、♂株も♀株も同じように着けます。

ムカゴは茎の変形したものといわれています。

黒褐色の皮に覆われ、ところどころに疣状突起があり、上端とおぼしきところから茎を出し葉を着け、下部の疣状突起からは根を出し無性的な成長を始めます。

このムカゴを零余子(れいよし)と呼び薬になるし焙烙(ほうろく)で煎り塩水を打って美味しく食べることができます。

 

うれしさの みにあまりたる むかごかな

(蕪村)

 (蕪村はよくムカゴを煮て食べたり、ムカゴ飯が好きだったという。)

 

ぽろぽろと むかご落ちけり 秋の雨

(一茶)

 

江戸時代の宮崎安貞著『農業全書』では、薯蕷(しょよ)の名で使われていました。

敗戦後に山薬と改名されました。中国では昔、薯蕷と呼ばれていましたが、偉い人の戒名になっていた為に、山薬と改名されていたようです。

 

山薬は 中(ちゅう)を補(おぎな)ひ 脾を治(おさ)め 腎(ぢん)精(せい)をまし 瀉をも留(とむ)るぞ

山薬は ゆに入れ あらひきざみつつ あぶりかはかし つかふもの也

(橋本竹二郎訳『新編和歌能毒』)

 

薯蕷(やまのいも)あまくうんなり又は平 じんををぎなひきりょくます也

(やまいもは甘く温なり、または平、腎を補い気力を益す)

やまにいもひじんきょするにくすりなり ひさしくしょくし気をふさぐもの

(やまいもは脾腎虚の薬なり、久しく食すると気を塞ぐ。)

やまのいもろうさひによし小べんの しきりにしげき人はしょくせよ

(やまいもは労瘵によく小便の頻尿の人は食せよ)

やまのいもものワすれする人によし やせたる人のはだへうるほす

(やまいもは健忘の人によく、痩せているの人の肌を潤す)

                        (『和歌食物本草』)

 

とろゝしるきをめぐらしてしょくすゝめ すぎてハはらぞふくれこハばる

(とろろ汁は気をめぐらし食欲が出、過ぎると腹が膨れ)

とろゝしるおりおり少しよくすれば 脾腎のくすり気きょをおぎなふ

(とろろ汁を折々少しずつ食べると、脾腎のくすり気虚を補う)

(『和歌食物本草』)

 

零餘子(むかご)うんあまくどくなし腎薬ぞ こしひざをよくつよくするなり

(むかごは温、甘く毒なし、腎薬ぞ。腰膝をよく強くするなり)

むかごたゝきよををぎなひしものぞかし 山のいもよりくすりなり

(むかごはただ気を補いしものぞかし、山の芋より薬なり)

(『和歌食物本草』)

 

ヤマイモを食べる

葉茎に付く小粒のむかご(零余子(れいよし))は「虚を補い腰や背を強化するに有効で、飢えに抵抗力をつける」の効で、日干にしたものを蒸して食べると、その効果は薯蕷よりも強いとされている。

零余子は炒って塩を付けると美味で酒によい。

薬用酒:山薬200g、グラニュー糖150g、ホワイトリカー1,8ℓ。2~3カ月保存。こして1日30㎖就眠前に飲む。(クコの実をいれるとよい)

ヤマイモ4種類の粘りの強い順は、ジネンジョ、ツクネイモ、イチョウイモ、ナガイモ。各イモの水分量は、粘りの強い順からそれぞれ、ジネンジョが61%、ツクネイモが68%、イチョウイモが72%、ナガイモが87%だそうです。

 

山薬(シャンヤオ)(繆文渭著『中国の民話』)

中国で諸侯が各地に割拠していたころの話です。

そのころ、諸侯は互いに戦を仕かけ、自分の領地を広げることに血まなこでした。

そうしたあるとき、勢力の強かった国が近隣の弱い国に攻め入り、たちまちのうちに、その領地を占領してしまいました。

敗北した国では、将兵が二、三千人ほど生き残り、命からがら山奥へ逃げこみました。勝ちいくさをした方の将兵はすかさず追い打ちをかけ、山を幾重にもとり囲んで、相手の将兵を山の中で飢え死にさせようと計ったのです。

(なーに、放っておいたって、糧秣(りょうまつ)がつきれば、山を降りてくるにちがいない)

と、たかをくくっていました。

しかし、山にこもった将兵たちは、半年たっても一年たっても、姿を現しませんでした。

(おそらく人も馬も餓死してしまったのだろう)

山をとり囲んでいた将兵たちは、すっかりそう思いこんでいました。

 

ところが、ある夜のこと、見るからにたくましい将兵たちが怒涛(どとう)のような勢いで山をくだり、強国の陣地めがけてなだれ込んできたのです。

この一年間、勝ち戦に酔いしれていた強国の将兵たちは、不意打ちをかけられて右往左往の狼狽(ろうばい)ぶりをみせました。それにひきかえ、弱国の兵士たちは、敗走の苦しみを肝に銘じ、全員が心をひとつにして戦ったので、失った土地をものの見事に奪いかえしたのでした。

その後、戦に負けてしまった強国の人びとは、弱国の将兵が山の中で何を食べて精気を養っていたのか不思議に思い、あちこちと聞いてまわりました。

 

その結果、次のようなことが分かったのです。

山には、夏になるといたるとことに白い花をつけ、太い根っ子を地中に伸ばしていく植物が生えています。

山にこもった将兵たちは、幾分甘味のあるその根っ子を食べ、馬にはツルや葉っぱをあたえていたのです。

兵士たちは、その根っ子を山遇(シャンユイ)と呼んでいました。山遇とは、糧秣がなくて困ったときに、「山の中で出会ったもの」という意味がこめられています。

 

のちになって、この山遇は穀物のかわりになるばかりでなく、消化器系統の機能をととのえ、肺や腎臓に養分をあたえてくれるということも分かり、薬として使われるようになりました。

それで山遇は山薬(シャンヤオ)という名に改められたということです。