メハジキ・益母草・茺蔚子(じゅういし)(シソ科) Leonurus sibiricus. L
寄贈者 2004張仲景学院
益母草
[気味]辛・苦、微寒
[帰経]肝・心・腎
[主治]産後の止血強壮薬とする。そのほか利尿、消炎、解毒、瀉下(活血袪瘀・利水退腫)
我がやどに 生(お)おふる土針(つちばり) 心ゆも 思はぬ人の 衣(きぬ)ぬに摺(す)らゆな
(我が家の庭に生えている土針(メハジキ)よ お前を本気で思ってもいない人の衣の摺り染めに使われてはなりませんよ)
(『万葉集』巻7-1388。作者不詳)
生薬名を益母草、茺蔚子とよばれ、中国から日本にかけての原野に自生するシソ科の大型越年性二年草。2mほどの背丈になったメハジキは、葉が十字対生に(一段おきに直角に)つき、とても可憐なうえに、紫がかったピンク色の花をそのつけ根に咲かせます。
万葉の時代より愛された植物で、目弾きと書かれるのは、短く切った茎を目蓋に挟み、目を閉じる勢いで遠くに弾き飛ばした昔の遊戯に由来するとか。
メハジキの花が咲き始める頃に全草を採取し乾燥させたもの、これが漢方名益母草です。
名が示すように、「母」に「益」をもたらす薬草で、産前・産後の婦人薬として重用されます。
ちなみに、『本草綱目』(1596 年)で、著者李時珍は
「益母草は、根、茎、葉、実、いずれも薬にして同様に用いるが、手足の厥陰、生理不順による障害を治し、目を明らかにし、精力をつけ、月経不順を調えるには種子の単用がよい。産前産後の諸病を治すときは茎、葉を併用するとよい。」とし、また「久しく服すれば子をもうけしめる。」
とあり、子宝の薬草であることも示唆しています。
・活血化瘀:血瘀による月経不順、月経痛、無月経あるいは産後瘀阻の腹痛、悪露停滞、性器出血などに、単味を砂糖と煎じつめた益母草を服用するか、当帰・赤芍などと用いる。
・利水退種:浮腫・尿量減少(腎炎など)に茅根・車前子・桑白皮・白朮・茯苓などと用いる。
・その他:清熱解毒・消腫に働くので、乳癰(乳腺炎)や庁瘍腫毒(皮膚化膿症)に用にいる。
あるところに、母親と息子が二人きりで住んでいました。
母親はその子をお産したころから、お腹が痛むようになり、息子が十幾つになっても治りませんでした。
息子は小さいときに父親を亡くし、母親の手一つで育てられましたので、母親の苦労のほどがよく分かり、大へん親孝行な少年でした。
痩(や)せ細って、血の気のない顔をした母親が、朝から晩まで糸を紡いでいる姿を見て、少年は心配でなりません。
「おっかさん、体の具合が悪いのかい?お医者に診てもらったら?」
「おバカさんだね、お前は…」
と言いながら、母親は涙ぐむのでした。
「あした食べるものもないと言うのに、お医者にかかるお金がどこにあるというの…」
「じゃ、薬草採りのおじさんから生薬を買ってきたら」
「お前もそろそろ大人になるのね。おっかさんは、いつまでも長生きしようとは思っていない。つまらないところにお金を使うのはよそうよ」
「おっかさん、そんなことは言わないでおくれ。おいらのために苦労してきたんだ。大きくなったらきっと楽をさせてあげるから。だから、体を丈夫にして長生きしておくれ」
少年はそう言ってから薬草採りのところへ行き、母親の病状を話し、生薬を買って帰ってきました。
その薬のおかげか、それから十日間は腹痛の発作がおこりませんでした。少年は大喜びで、またも薬草採りのところへ行きました。そして、
「おっかさんの病気を完全に治してあげたいんだが。おじさん、治せるかな?」
と相談しました。薬草採りは笑いながら、
「ようし、わしが治してあげよう。だが、お礼は高いぞ。それを払ってもらえるかな?」
「いくらかね?」
「米五百斤(約四俵)と銀十両だ」
その額の大きさに、少年は目をまるくしてしまいました。
どこへ行ってそんなに沢山のお金とお米を都合すればよいというのでしょう。
けれども、お礼をあげなければ、薬草採りは生薬を売ってくれませんし、生薬がないことには、母親の病気は治らないのです。
少年はしばらくの間、腕組々して考えていましたが、
「わかったよ。お金とお米は何とかするから、おっかさんの病気を必ず治しておくれ」
と念を押しました。
「もちろんさ」
「じゃあ、おっかさんの病気が治ったらお金とお米をとどけることにするよ」
「ああ、いいとも。だが、約束はきっと守ってくれよ」
(相手は子供だ。米五百斤、銀十両の価値がどれ位のものか見当さえつかないんだろう。これで金もうけができるぞ)
薬草採りは内心ほくほくでした。
「それで、薬はいつもらえるのかね」
「あしたの朝、わしがとどけてあげよう」
と薬草採りは言います。
こうして、少年は薬草採りと別れ、相手も家に帰って行きました。
しかし、少年は家に帰ったように見せかけて、実は薬草採りのあとをそっとつけて行ったのです。
そして、薬草採りの家の門のそばにある大きな木に登って姿をかくしました。
夜中になり、あたりは寝静まりましたが、少年は一睡もしませんでした。
やがて、夜が明けようとしたころ、ギーと門の開く音がしました。
人影が一つ、北の方へ向かって歩いて行きます。少年は急いで木から跳びおり、あとをつけました。
薬草採りは注意深く、何歩か行くと後ろを振りかえって、誰かあとをつけてくる者はいないか警戒しています。
少年はとても賢かったので、遠く離れてそれを見ていましたが、行く先は三華里ほど離れた土手だと見当をつけました。
そこで、ほかの道をひた走りに走って先まわりをすることにしました。
はたして薬草採りはその土手に着くと、足を止めました。
そして、あたりを見まわし人影がないのを確かめると、しゃがみこんで土を掘りおこしました。
薬草採りは何株かの薬草を採り、花と葉をちぎって川にすて、村へと帰って行きました。
それは、どんな薬草を使ったのかを人に知られたくなかったからでしょう。
少年は薬草採りが遠ざかってから土手にあがりました。
そこにはさまざまな野草が生えていたので、どれを採っていったのか少年にはかいもく分かりません。
そこで、先ほど薬草採りが、花と葉を川の方に投げ棄てて行ったのを思い出し、水に入り花や葉を拾ってきました。
葉は手の平のような形をしていて、ピンクや白の花をつけています。
少年はそれと同じ葉と花をつけた薬草をさがし出し、その根っこを掘りおこして、家へ持ち帰りました。
母親は一晩中寝ずに息子の帰りを待っていたので、
「いったいどこへ行っていたの!」
と、息子を責めて言いました。
「薬草を採りに行っていたのだよ」
そう話しているところへ薬草採りが二包みの生薬を持ってきました。
「一日に一包みを煎じて飲みなされ。あさってまた持ってくるからね」
薬草採りが帰ったあと、少年は包みを開けてみました。
こまかくきざんであるので、どんな形の薬草を使ったのか全く分かりませんが、匂いをかいでみますと、先ほど採ってきた薬草の根と同じです。
そこで、その薬はそのままにして、自分が採ってきた薬草の根を前じて、母親に飲ませました。
二日ほどすると、母親の病気はまた少しよくなりました。
三日目に薬草採りは薬をとどけにきました。
「すまないんだけど、どんなに勘定してみても、あれだけのお金とお米はつくれそうにないよ。つまり、高価な薬はおっかさんには飲ませてあげられないということだ。これはおとといとどけてもらった薬の代金だよ。薬はもうとどけてくれなくてもいいから」
薬草採りは、そのうちに大金が入ると思いほくほくしていた矢先だったので、あわてて言いました。
「薬を続けて飲まんことには、病気がもっと重くなるよ。今年の中秋節(旧暦の八月十五日)までもたんかも知れん」
「お金のある者は病気を治せるが、無い者は放っておく。貧乏人はどうしようもないんだ」
薬草採りは、仕方なく二包み分の代金を受けとり、すごすごと帰って行きました。
少年は、毎日のように土手へ通って薬草の根を掘って帰り、煎じては母親に飲ませました。
やがて、母親の病気はすっかり治り、畑仕事にもでられるようになったということです。
少年は、このようにしてその薬草を知ったのですが、それが何という名の薬草か知りませんでした。
そこで「母」に「益」をもたらした薬草ということで、益母草(イームーツァオ)と名づけたのでした。