マオウ・麻黄(マオウ科)
(シナマオウ)Ephedra sinica ATEPF
(フタマタマオウ)Ephedra eqisetina BUNGE
寄贈者名・産地・年月日・経歴:1999,11唐招提寺
薬用部位・開花・採集時期:収穫は9~10月、地上茎を刈り取り乾燥。
繁殖法:春、株分け。
[気味]辛・苦、温
[帰経]肺・膀胱
[主治]喘息・呼吸困難・気管支炎・肺炎(発汗解表・宣肺平喘・止咳・利水消腫)
麻黄こそ 頭痛風熱 発散す 根とふしは 又汗(まだあせ)留(とむ)る也
麻黄をは 鉄気(どうき)を忌(いむ)ぞ 湯に浸し 剉(きざ)み日に干 焙(あぶ)り用よ
(橋本竹二郎訳『新編和歌能毒』)
ぜんぞく、呼吸困難、気管支炎、肺炎には、地上茎3~6gを煎じ1日3回温服する。胃にもたれる場合があり、生姜や大棗、葛根、甘草などと配合して用いる
産出地は中国東北部、内蒙古自治区、西北部の乾燥した草原に数種類の麻黄が自生し、地上部の茎を刈り取って薬用に供します。中国原産の多年草で雄雌異株です。
地上部を刈り取り、乾燥したものを麻黄と呼び、一般にはシナマオウ、フタマタマオウと呼ばれるものが多い。
節と節の間の部分に発汗作用があり節と根に止汗作用があります。
日当たり、排水に良い地に株分けするか実生し、施肥により主成分のエフェドリン含有が高くなり一定します。
神農本草経に収載され、古くから薬用にされていた薬物です。
苦・温、中風、傷寒の頭痛、温瘧を主る、表を発して汗を出す、邪熱の気を去り、咳き込んで上気しているものを鎮め、寒熱を除くとあり喘咳、呼吸困難、悪寒、身体疼痛、骨折痛、頭痛、発熱などに発汗、鎮咳、去痰薬として用いられます。
しかし手のひらや、肌の汗ばんで湿っている人には用いてはならないので要注意です。
麻黄の入っている処方は、葛根湯(風治散)、麻黄湯、小青竜湯、越婢湯、麻杏薏甘湯などたくさんあります。
麻黄の主成分エフェドリンは、水に溶けにくいので麻黄だけを先に煮出し、泡を去り、その後に他の薬物を入れて煎じるようにとの注意書きがあり、また節の部分は、根と同じく汗を止める作用があるため、節を除いて用いよと言います。
生植物の我国への渡米推定年代は、享保十二(1727)年「麻黄、朝鮮国より宗対馬守(幕府へ)献上二根」とあるのが最初です。どのような麻黄だったかは、定かでありません。
むかし、あるところに薬草採りの老人がいました。老人には息子も娘もいなかったので、あとつぎにと考え、弟子を一人とりました。
しかし、その弟子というのが、たいそううぬぼれの強い男で、薬草についていくらか分かるようになると、師である薬草採りの老人をないがしろにするようになりました。
そのうえ、薬草を売って儲(もう)けたお金も猫ばばをきめるというありさまです。
老人はそんな弟子を見るにつけ、ため息をつくばかりでした。ある日、老人は思いきって言いました。
「お前もいっぱしの薬草採りだ。ここらで一人立ちしてやってみるのもよかろう」
「はい、そうさせていただきます」
弟子は待っていましたとばかり、そう返事をしたのでした。
老人はそうは言ったものの、心の中では一人でやっていけるかどうか心配でしたから、ことこまやかに注意をあたえました。
なかでも無葉草(ウーイエツァオ)いう薬草の使い方については、くれぐれも注意するよううながしました。
「無葉草は、根と茎では用い方がちがうのだよ。汗をかかせるには茎を使うが、汗を止めるには根の方を使う。それを取りちがえたら人の命にかかわるからな。ようく覚えておけよ」
老人は、それでも安心できず、弟子に暗唱させ、しっかり覚え込ませようとしたのですが、弟子の方は一人立ちができるというので、嬉しくて、何を聞いても上の空、老人の言うことが頭に入らなかったようです。
弟子はその日から師と分かれ分かれになって、薬草を採りはじめ、別べつに売り歩くようになりました。
老人から離れた弟子はそれまでにもまして大胆になり、薬草についての知識がゆたかでもないのに、恐いもの知らずというのでしょうか、どんな病人でも軽く引き受けてしまうのでした。
そんなわけで、何日もしないうちに、無薬草を飲ませたのが原因で、一人の病人を死なせてしまいました。死者の身内はひどく腹をたて、役所へ訴えてでました。
「お前は薬草について学んだと言うが、誰から学んだのか?」
と役人はたずねました。弟子は老人の名をあげたので、老人もすぐさま役所に引き立てられました。
「お前は弟子にどんな教え方をしたのかな。無葉草が原因で人を死なせてしまったではないか」
「恐れながら申し上げます。私には罪はございません。無薬草については歌までつくって何度も教えたはずでございます」
役人は、それを聞くと弟子に向かい、その歌の文句を述べさせました。
「汗をかかせるには茎を、汗を止めるには根っこを。取りちがえたら命取り」
弟子はすらすらと暗唱してみせました。
「ではたずねるが、病人は汗をかいていたのか?」
「はい、体じゅう汗ばんでいました」
「それで何をあたえたのか?」
「茎の方でございます」
「何ということだ。すでに汗をかいている者に、なぜ発汗の薬をあたえたのか!」
お仕置きとして、弟子は割れ竹でお尻を四十回打たれ、三年のあいだ牢屋に入れられました。
その間に自分のあやまちを心から反省したのでしょう、牢を出たあと、薬草採りの老人のもとに帰ってきました。
そして、自分の非をみとめ、生まれ変わったつもりで仕事に励むと決意のほどを示したのでした。
老人は弟子が心を入れかえたのを見て、ふたたび家に置いて、生薬の使い方を教えることにしました。
弟子の方も真剣に学び、無薬草の使い方については、とくに慎重を期したということです。
そして、二度とあやまちをくりかえさないために、その薬草を麻煩草(マーファンツァオ)と名づけました。
「麻煩」という中国語は、面倒なという意味がこめられています。つまり、薬の使い方をあやまれば、面倒なことがおきるという意味をこめて、名づけたのでしょう。
しかし、この草の根が黄色いところから、後(のち)の世の人は麻黄(マーホワン)という名に改めたので、今では、無葉草は麻黄のなで通っています。
(繆文渭著『中国の民話』)