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薬草クラブ ボタン

ボタン・牡丹皮(ボタン科)Paeonia moutan SIMSの根皮

寄贈者名・産地・年月日・経歴:1999,11唐招提寺

牡丹皮

[気味]苦・辛、微寒

[帰経]心・肝・腎

[主治]浄血薬(清熱涼血・活血散瘀・清肝火)

 

根の皮を牡丹皮といい、『薬局方』にも収められており、婦人科疾患の漢方処方には不可欠の生薬。炎症性駆瘀血の目的で頭痛、腰痛、月経障害の場合に用いられ、大黄牡丹皮湯、桂枝茯苓丸、温経湯などの重要な配合剤である。

 

牡丹皮は 瘀血(おけつ)かたまり 除(のぞき)つゝ 鼻血吐血(はなぢとけつ)も能(よく)くとむるなり

牡丹皮 土気(つちけ)の有(あ)らば よく洗ひ 砕きて心(しん)を 去(さり)て焙(あぶ)るぞ

(橋本竹二郎訳『新編和歌能毒』)

 

中国では百花王と称され、美人のあでやかな姿をたとえるのに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言われ、「座れば牡丹」は、昔の牡丹は草丈が低く、葉を座布団にして座っているように見えたことにちなんでおり、「立てば芍薬」は、芍薬の花が座る座布団がなく立っているように見えたことに由来しているといわれています。

 

花言葉は富貴。かの一茶は「てもさてもても福相のぼたん哉」と感嘆している。

 

ボタンはキンポウゲ科の落葉低木で原産国は中国で、根皮には鎮痛や鎮静、消炎効果があることから婦人病の治療薬として西暦2世紀頃から栽培されていました。その後中国では5世紀頃から花の鑑賞がされるようになります。

『神農本草経』の中品に「頭痛を治し、悪血を散じ、血脈を順らす」と記載されています。日本へは平安時代にもたらされたとされ、『万葉集』や『古今集』には登場せず、『枕草子』や『蜻蛉(かげろう)日記』(975)にも登場し、『枕草子』に「ほうたん」と出たのが文芸ものでは最初です。平安時代は薬用として寺院に植えられたらしい。

 

江戸時代には、家紋の柄としても人気が高く、富貴や華麗さの象徴とみなされていました。

 

牡丹の名前の由来には諸説ありますが、結実するのに根から生えていることから雄を意味する「牡」と、花色の赤を意味する「丹」が合わさって「牡丹」と称されるようになったという記述が、中国の明時代の書物「本草綱目」に残っています。

元々は「ボウタン」と読まれていたものが転じて「ボタン」と呼ばれるようになったそうです。

 

咲きしより散りはつるまで見しほどに花のもとにて二十日経にけり

詞花48 藤原(ふじわらの)忠通(ただみち))

 

この短歌は、ボタン(牡丹)の花期の長さを示します。

一つの花は、数日にして花被片をちらして咲き終わりますが、大きな樹では、一株に数十個の蕾を着け、芳香を放しながら次々に開花してくれます。

これを庭いっぱいに育てるならば、個体差の遅速も加わり、その総てが咲きしより散りはつるまでが、凡そ二十日間と言うことです。

因みに明治二十年刊『和訓栞(わくんのしおり)』には、「牡丹をハツカ(二十日)グサ、古名をフカミグサ」と呼んでいます。

さらに「牡丹は赤き花を主となすといえり、春の末より夏にかけてさくものなり」とも記されています。

 

十月の末から十一月にかけて牡丹根皮を収穫するために堀とり株もとから根をもぎ取るようにして取り除いた株も苗とし植付けます。

苗は、五十㎝内外の高さに地上部を切り揃え、根元または株もとには肥料分のない清浄な赤土のような重たい土で押さえ付けるようにし、挿し木の要領で植付けます。

挿し木同然の苗なので植付け後に揺らぐことのないよう留意し、冬の寒さを防ぐための落ち葉や麦藁を切って、たっぷり株元を被うってやります。

こうしておくと翌年四月には枝先から赤い芽が伸びて葉をひろげます。

しかし根張りがまだ少ないので弱々しい葉をひろげるのみですが、六月ごろになると株もとから新芽が伸びてきます。

このときに勢いの良い芽が出てくれば、ほぼ活着くしたものとみて、薄い液肥を施します。

同時に夏の日照りに根が焼けない用心のために再び敷藁をしてやります。

九月に入ったら敷藁の上から油粕のような有機質肥料を株間に施します。

 

次ぎの年からは春・秋に数回の施肥と除草に努めます。

根を肥らせるのが目的ですから葉をうんと繁らせるように心掛けます。

したがって株元から新芽が出て来るのをどんどん伸ばして散木状に仕立てます。

薬用種を「草牡丹」と栽培家が呼んでいる所以です。

そして蕾が着いたらできるだけ摘み取り樹勢をおとさないような栽培管理に努めると植付け後五年目の秋に「牡丹根」の収穫が出来ます。一株から約四㎏の生の根を得、芯を抜き、乾燥して仕上げます。