ヒガンバナ、石(せき)蒜(さん) Lycoris radiata Herb.
「葉がないのに、いきなりツボミができて花が咲く草花」というのは、地下部に栄養を蓄えているものに限られます。ヒガンバナがその代表格です。
ヒガンバナは、葉と花が出会うことがありません。そのため「花は葉を見ず、葉は花を見ない」ので、この植物は「葉不見花不見(はみずはなみず)」と呼ばれます。また歩互いが姿を見ないので、思い合っているだろうと思われ「相思華(そうしばな)」(葉は花を思い、花は葉を思う)ともいわれます。
ヒガンバナは絶対的な温度に反応するのではなく、温度の変化を感じて花咲くのではないかと考えます。5月中旬にツボミが出来ます。夏の高温で開花が押さえられ、涼しい18℃ほどになるとツボミが発芽してきて、花を咲かせます。
ヒガンバナの開花日のふしぎ
・全国どこででも、お彼岸のころに、花咲く
・紅葉や黄葉の月日がずれても、開花日はほとんど代わらない
・高温から低温に移せば、いつでも開花する
ヒガンバナは中国揚子江の流域に特に多いが、稲作が揚子江から南朝鮮へ、さらに北九州へというコースをたどって日本に渡来しているように、ヒガンバナも同じようにしてはいってきたのではないかという説もある。
現在、揚子江沿岸にあるヒガンバナも、日本のものも同じ種類で、どちらも写真のように美しい花が咲くが、種子ができず、地下の球根が分かれることで繁殖していく。
中国には変種で、種子が出来るものも、まれにある。
深山幽谷というような人跡まれな所にはなく、人里とか、村里にように人とのかかわり合いにある場所にしかないというのも、古い時代の帰化植物説の根拠になろう。
日本各地のあぜや土手に植えられて広まったもので、増水などで土が流れて球根が浮くと、根はググッと縮んで球根を引っ張り込む性質を利用し、畦や土手の土留めの役割を願ってのことでだと考えます。
また、墓地に多いいいのは、土葬された遺体が猛毒の球根で覆うことによって獣から守ろうという昔の人の意図だと考えます。
・肩こりに 陶器のおろし器で、鱗茎1個をすりおろし、人さし指大の分量を、就寝前、両足の土踏まずにはって、軽く包帯をしておく。毒草なので、絶対に口にしないこと。
・腫れ、むくみ 球根の生をすりおろし、細かくしたトウゴマと混ぜ、足の裏の土踏まず(湧泉)に貼ると、膝関節や打撲による腫れ、小便の出が悪い時に良く効きます。但し、ヒガンバナは全てが有毒ですから口に入れないように気を付けて下さい。
古代中国の医学書、黄帝内経は「素(そ)問(もん)」と「霊枢(れいすう)」とを、一まとめにした総称だったと言われています。
素問とは、黄帝と、その家臣である医者の岐伯(ぎはく)と雷公(らいこう)との問答形式によって綴られたもの、人間は自然の気(季節)に調和した生活をしなければならない。
自然の働きには陰・陽がある。秋・冬・夜を陰、春・夏・日中は陽である。夏は陽が多く陰が少ない。
人体には陰が少なくなると狂状を発する。
これに暑気が入ると身体に熱が溜まり、うわ言を発し、更に湿気が加わると、頭がボーッとして筋肉や関節が腫れて動けなくなる。
陰・陽のバランスが崩れて病気になるといいます。
私ごとですが、昨年の六月末、私もこのような病邪に冒されました。
身熱が溜まり、小便不利、手足が腫れ、屈伸・歩行困難。友人に助けを求めると、送ってくれたのがヒガンバナ(曼珠沙華(まんじゅしゃげ))の球茎を磨り潰し、麻子仁(ましにん)(蓖麻子(ひまし)でも可)と一緒に練ったものでした。
「リントン紙に十円玉ぐらいの大きさに付け、両足の裏(湧泉(ゆうせん))に貼ります。一日、三~五回貼り換えて下さい。乾燥したら貼り換えて下さい。テーピングで止めて下さい」と言う指示がありました。
私の右足はふくら脛(はぎ)まで腫れています。
ヒガンバナは有毒ですから躊躇(ちゅうちょ)しましたが、儘(まま)よとばかり指示に従いました。
湧泉というツボは土踏まずよりも足の第二と第三指に近いところにあります。貼ってみました。
すると足の火照りが冷まされていい気持ち、ややあって排尿、熱も下がります。
三時間ぐらいすると貼った薬が乾いてパリパリ。剥がしてまた新しいのに貼り換えると、腫れがどんどん引いていきます。
一週間もすると皮膚の感触が正常に戻り、我が足のように感じられるようになり、三週間後、ほぼ正常に戻りました。
人によっては効かない場合があるといいますが、私には大いに効きました。ただし、皮膚の厚い足の裏以外の皮膚、目、口などの粘膜に触れないように注意します。