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薬草クラブ スイカズラ

スイカズラ(生薬 花蕾を金銀(きんぎん)花(か)、茎葉を忍冬(にんどう))(スイカズラ科)Lonicera japonica THUB.

[気味]甘、寒

[帰経]肺・胃・心

[主治] 浄血、解毒の妙薬(清熱解毒・涼血止痢・疏散風熱)、浴剤に用いると痛みはとれ、冷え症、しもやけ、あせも、ただれによい。

花蕾の金銀花、茎葉の忍冬の効用はほぼ同じ。

 

スイカズラは初夏に、白い帆かけ船が並んだような花をつけ、あたりに芳香を漂わせます。

花筒の基部に蜜が溜まり、口をあてて吸うと甘い蜜がでて甘く、花を吸う葛(かずら),つまりスイカズラの和名、冬でも葉が枯れず、寒さに耐え忍ぶことから忍冬(にんどう)と、始めは白花が、時がたつにつれて黄色に変化し、金(黄花)、銀(白花)入り乱れて咲いていることから金銀(きんぎん)花(か)の名があるようです。

漢方では茎・葉を乾燥したものを「忍冬」、花蕾を乾燥したものを「金銀花」といいい、金銀花は咽頭炎・肺炎・耳下腺炎・腫れ物などに、忍冬は、利水の効果があり、発汗・利尿により解熱に、また茶剤として飲用したり入浴剤として身体を温め、足腰の痛みを和らげるのに用いられます。

奈良県大神(おおみわ)神社の鎮花祭(花鎮めの祭り)に、御神体である三輪山に生えるササユリの根と、スイカズラの茎葉とが神饌(しんせん)として奉納され、祭りのあとの慰労に神酒「忍冬酒」がふるまわれます。また愛知県犬山市に慶長二年創業という「忍冬酒」が販売されています。

わが国は高温多湿の国で、体内の過剰の水分が蓄積して気化しないので、水分を小便として排泄する必要がある。スイカズラは利尿作用があり、体内の水分が滞るのを防ぐ役目をしてくれます。またユリは「味甘平、毒無し。邪気、腹脹り心痛するを主治し、大小便を利し、中を補い気を益す」の薬能があり、大和民族の健康を守る目的で、これらを供えたようです。

 

『名医別録』上品に「甘・温、無毒。寒熱身痛。久しく服すれば身体を軽くし、天年を長くし、寿命を益す」と収載。この当時は忍冬の茎葉を用いていたが、その後は次第に金銀花を使う傾向になります。

李時珍『本草綱目』に「時珍曰く、忍冬は茎・葉・花の巧用は皆同じである」と、陳白明の『外科精要』に「忍冬酒は、癰疽発背の初発に必ず服すべきもので、その効甚だ著しい」奇功を認めたとある。

弘景曰く「忍冬の煮汁で醸した酒を飲めば虚を補し、風を療ずる・・常に採って服するがよし」と。忍冬酒についても「癰疽が、何れの部位に発したるを問わず、いずれにも奇効がある。田舎の辺僻地に住むか、薬材の得難き所に住むか、ただ真面目にこの薬を服するがよし」と教訓的に意見が述べられている。

人見必大著『本朝食鑑』穀部二〔付録〕に薬酒についての冒頭に「忍冬酒」があり、「諸風、病痺、湿腫、癰瘍(ようよう)の類を治す。膈(むね)を寛(くつろ)げ・中を温め・食欲を増し、気を穏やかにし、鬱を払い、疲労を慰める。然れども多量に飲めば害をなすこと少なくない。凡そこの酒は新造りのものは宜しくなく、年を経たものを上とする。・・」

 

効用

・金銀花1日量20-30gを煎じて化膿性疾患、感冒および膿瘍、細菌性の下痢などに用いられる。茎葉の忍冬でも代用できる。

・茎葉を浴湯料にすると身体を温め、足腰の痛みを和らげる。腫れ物や痔疾患に煎液で洗うと良い。

・葉や蔓をお茶がわりに飲むと利尿作用があり、口内炎・扁桃腺の腫れに煎汁でうがいをして効果があります。

・飲む皮膚病薬 金銀花の煎液に麹を入れて忍冬酒を造って飲めば、ひょうそ(指の化膿性炎症)その他の皮膚病に効果がある。不老長寿薬となります。

 

・忍冬酒 金銀花100gを砂糖30gと共にホワイトリカー1.8ℓに1ヶ月以上漬ける。

 

スイカズラを食べる

・フランスでは金銀花の芳香精油を抽出して香水に用いています。その香りはジャスミンやスズランに似て甘やかで、なかなかの人気を集めているようです。

・新しく伸びたつる先や葉を摘み、一つまみの塩でゆがいてかわかした物を和え物・浸し物・炒め物などにする。

・油炒めや花の酢の物。

・花と若葉を粗く刻み、ナツメ(またはアンズ)、ピーナッツとともにかき揚げ天ぷらにする。

 

金銀花(ヂンインホワ) (繆文渭著『中国の民話』)

むかし、ある村に、それは気立てのよい夫婦が住んでいました。ある年のこと、その夫婦にかわいらしい双子の女の子がさずかりました。夫婦はたいそう喜び、姉に金花(ヂンホワ)、妹に銀花(インホワ)と言う名前をつけてかわいがりました。

金花と銀花は、すくすくと育っていきました。文字通り瓜(うり)二つ、仲のよいことこの上なく、いっときとして離れようとしません。姉妹は手先が器用で刺しゅうがうまく、その上、話もたいそう上手でした。それで両親は言うまでもなく、村びとからもとてもかわいがられていました。

こうして、姉妹は十八の歳を迎えました。花のように美しい二人のもとには、お嫁にほしいと言って訪れる若者があとを絶ちません。しかし、二人は別れ別れになるのをいやがって、お嫁に行こうとしませんでした。

「いっしょに生まれたのだから、死んだら一つのお墓に葬ってもらいましょうよ」

などと話し合っている始末です。これには両親もほとほと手を焼くばかりでした。

 

そうこうするうちに、姉の金花がとつぜん病気にかかってしまいました。熱が高く、体がほてり、赤い発疹がでて、起きることもできません。両親は、さっそく医者にきてもらいました。医者は脈をとり、診察して言いました。

「娘さんは熱病にかかったのです。むかしからこの病気を治す薬はありません」

銀花は、それを知ると、姉のそばからはなれず、目を泣きはらしていました。

そうしているうちに、金花の病はいっそう重くなり、銀花にも病気がうつってしまいました。姉妹は両親に向かって言いました。

「あたしたちは、熱病を治す薬草に生まれ変わりたいのです。熱病にかかった人たちがむざむざ死ぬのを待っていなくともすむように…」

 

こうして、姉妹はいっしょに息をひきとりました。両親は悲しみに暮れていましたが、村びとの助けをかりて、野辺の送りをすませました。

やがて、年が明け、春が訪れ、緑の萌え出るころとなりました。姉妹を葬った土饅頭(どまんじゅう)(土を盛り上げたお墓)からは、蔓性(つるせい)の植物が芽を出し、すくすくと伸びていきました。三年もするとたくさんの葉をつけ、夏には白と黄色の花を咲かせました。咲きはじめは白く、しだいに黄色に色変わりするので、ふしぎな花もあるものだと、人びとは珍しがっていました。

村びとは、金花と銀花の遺言を思い出し、その花を煎じて熱病にかかった人に飲ませたところ、病気はみるみる快方に向かいました。

以来、この植物は金銀花(ヂンインホワ)と呼ばれるようになったということです。