シラン・白芨(ラン科)Bletilla striata REICHB. f、の塊茎
寄贈者名・産地・年月日・経歴:1999,11唐招提寺
薬用部位・効能・開花・採集時期:開花は初夏。収穫は2年目の秋。5分ほど熱湯につけて乾燥。
効能は、咽喉、胃、腸などの諸出血に用いる。生根をすりおろして傷薬とするほか、床ずれ、長距離ドライバーの痔出血予防に効く。
繁殖法:春または秋に30cm間隔に株分け、覆土は5cm
シラン
[気味]甘・苦、微寒
[帰経]肺・胃・肝
[主治] 咽喉、胃、腸などの諸出血(収斂止血・消腫生肌)
根茎を蒸して乾燥したものを白芨と呼ぶ。固くてなかなか割れないので、生のうちに刻んでおくとよい。これを1回10g煎じて咽喉、胃、腸などの諸出血に用いる。生根をすりおろして傷薬とするほか、床ずれ、長距離ドライバーの痔出血予防に効く。粉末をてのひらに適量とり、一滴の水をたらしあえて患部に塗ると痛みが軽減する。窯業関係者が接着剤に用いる。
君知るや 薬草園に 紫蘭あり
(虚子)
千葉県、三重県、四国、九州、沖縄に産するが自生をみることは稀。むしろ観賞用に庭に普通に植えられる野生のランといえます。
中国長江流域の各省にも自生すると言われていますが、日本産のものと同じかどうかは不明です。掘りあげて見ると、株もとには編球形、肉質白色の粘液質を含む球があり、それが数個連なっています。この球を白芨と称して血止めや傷薬または糊料に使われます。
『神農本草経』や『新修本草』といった歴代の薬物書に収載され、日本では『本草和名』に「加賀美」の和名が付せられています。貝原益軒の『大和本草』には、「山根に敷けば鼻血を止める。山根とは両眼の間クボキ処なり。疥癬すれば虫を殺す。糊にすれば甚だネバル。手足のアカギレには球をあぶりて糊とし、裂れた処を塞げば癒ゆ」とあります。
李時珍は、『本草綱目』の中で「漢方に用いるは一向に稀だが糊になるものだ」といい、次ぎを紹介しています。
昔、中国のあるところで重罪を侵した囚われ人が獄に繋がれていました。
しかしここの監守は、囚人に憐れみをしかけて優しくしてやったため、囚人も深く恩を感じ「自分は死刑に値する罪を七回も侵し、その都度拷問を受け、肺が悉く損傷して血を吐くようになったが、ある人に白芨の粉末をご飯で毎日服用するようにと教えられ、神効を得ている。親切にしていただいた御礼にお教えいたします」といって刑場へ連れ出されて八つ裂きの形に処せられました。
刀を執って五体を断った物が胸を裂いて見ると肺全面に数十箇所の穴があり、これを白芨が悉く補塡し色さえ変わらなかったといいます。
これを聞いた看守は、突然喀血して危篤状態の人にこの方法で試してみたところ救うことができたといいます。
シランの球根は堀上げ後水洗、天日乾燥してもなかなか乾きません。生のうちに薄く切って乾かし粉末にして貯え、切り傷などに応用するのが得策。
しかし必要とあらば何度でも使えるように園の片隅に鑑賞を兼ねて栽培するのが最善です。
一般にランは種子から育てるのが至難です。ランの種子は、1粒が0,01mg以下と、種子植物の中で最小だからです。
そのため、タネの中身は超未熟。子葉も胚乳もなく、まだ形をなさない細胞の塊があるのみ。そのままでは育たないし、育つのに必要な栄養もありません。
では、どうやって育つのでしょうか?
タネが芽を出して育つには。土壌菌類の一種であるラン菌の助けが必要です。タネの中に菌糸を伸ばしたラン菌から、栄養や水を分けてもらうのです。そうして初めて、葉や根のもとができ、芽が育ちます。
葉を広がるまで育てば、あとは自分で光合成ができるので、助けは不要になります。するとラン菌は酵素を出してラン菌を消化して自分の栄養にしてしまいます。両者の関係は共生でなくラン菌にランが寄生しているのです。
ラン類は多産で、1個の実に数万~数十万ものタネを作ります。
花粉の運ばせるたくらみ
6枚の花びらのうち、下側の1枚は特殊な形の「唇(しん)弁(べん)」となり、雌しべと雄しべは合体して「蕊柱(ずいちゅう)」をつくっています。シランの唇弁は縦溝が並んで通路となり、ハチを奥へと誘導します。通路の天井には蕊柱が覆いかぶさり、花粉塊(花粉の塊に粘着体がついたもの)がこっそり隠れて待っています。ハチが花から出ようと後退すると、背中が蕊柱をこすり、まんまと花粉塊を背負わされる、という仕組み。
シランの花に蜜はなく、羽化したばかりのハチはまんまとだまされるのです。
なぜ?このような複雑な受粉方法をとるのでしょうか?
それは、膨大な数の花粉を一度に運ばせるためです。
膨大な数のタネを作るには、雌しべは同数以上の花粉を受け取らなくてはなりません。だから、花粉塊なのです。
花粉塊を運ばせる受粉方法、莫大な数のタネ。そしてラン菌との共生。ランを特徴づける3つの特徴は、実に複雑に絡み合いながら進化してきたのです。
(多田多恵子『種子たちの知恵』)