クコ(枸杞)Lycium chinense Mill.(ナス科)
寄贈者名・産地・年月日・経歴:唐招提寺・1999,12
薬用部位・効能・開花・採集時期:開花は夏・収穫は春から秋。6月に葉を摘み、果実と根皮は秋に。天日乾燥。
・枸杞子(果実)
[気味] 甘・平
[帰経] 肝・腎・肺
[主治] 滋補の作用があり、腎を補い肺を潤し、精を生じ気を益する。伝統的な滋養強壮薬で、視力を明るくし、血糖降下させ、血圧降下させる(滋補肝腎・明目・潤肺)。
・枸杞葉
[気味]甘・微苦、涼
[帰経]肺・肝・腎
[主治]上焦(上焦熱は、口唇に瘡を生じ、頭脹腫痛する)、心肺の客熱(外部から加わった熱)を除く。利尿、高血圧、滋養強壮に。
・地骨皮(根の皮)
[気味]甘・寒
[帰経]肺・肝・腎
[主治]下焦(下焦熱は血尿や小便のとどこおり)肝腎の虚熱(虚証の発熱)を能く去る。消炎、解熱、強壮、糖尿病予防に(清虚熱・清瀉肺火・涼血止血)。
地骨皮は 風冷除(ふうれいのぞ)き 酒を解(げ)し 潮熱(てうねつ)をさまし 精をますなり
地骨皮は 米泔(しろみず)に漬(つけ) 洗いつゝ 竹刀(たけかたな)にて きざみほすなり (橋本竹二郎訳『新編和歌能毒』)
枸杞はたゝあぢハひにがくひえのもの 気をおぎなひてセいをます也(くこの味は苦で寒のもの、気を補い精を益す也)
くこのはは目をあきらかに風をさる すぢほねかたくちをもうるほす(くこの葉は目を明らかにし風を去り、筋骨固くし血をも潤す)
くこのはをひさしくくへばながいきし かさようちやうにくすりなりけり(くこの葉は久しく食えば長生きし、瘡・癰・疔の薬である)
くこはたゝちやう胃のきょねつさます也 きをめぐらしてしょくをけすもの(くこは腸胃の虚熱をさます也、気を巡らして食を消すもの)
(『和歌食物本草』)
北海道を除く全国各地に自生し、朝鮮半島、中国大陸、台湾など東アジア一帯に広く分布。
中国では枸(カラタチ)のような刺があり、枝がしなやかな杞(カワヤナギ)に似ていることから枸杞とよび、この漢名を音読みにしたことに和名の由来があるという。
枸杞は四季ごとで名前が変わり、冬は根を地骨皮(じこっぴ)、春は葉を大名精、夏の花を長生花、秋の実を枸杞子といい、中国の薬物書『神農本草経』や『新修本草』、医学書『千金方』ほかには、「筋骨を固め、身を軽くし除湿、利水、耐老、精気を補い、慈腎、明目、補血、開胃の作用があり、虚労、心痛、腰痛に応用する。」と記され、江戸時代の本草書『本朝食鑑』に「実と葉、根の皮を合わせ持ちいると四臓(心肝腎脾または肺肝腎脾)の熱を除き、四臓の虚を滋する。保命延寿の域に入るのには数日を要しないであろう。」と、クコの効能を高く評価しています。
・高血圧、糖尿病 枸杞子15gの煎じ汁をお茶の代わりに服用し、常用すれば効果がある。
・高血圧症に 乾燥したクコの葉(枸杞葉)5~10gを煎じて服用する
・夜盲症、視力減退 枸杞子6g、白菊花6gを水に漬け、お茶の代わりに飲む。
・肺結核の初期、午後に微熱がある、精神的な疲労 地骨皮10g、銀柴胡6g、甘草3gを水で煎じて服用する。
・肝虚による眼病、風邪による流涙と眼翳、白内障などの症状 枸杞子250gを黄酒適量に漬け、瓶に入れ、1~2ヶ月密封して、毎日食後、1日2回適量を飲む。
・疲労回復にクコ酒 クコの果実(枸杞子)200gに、グラニュー糖200gを加えて、ホワイトリカー1.8ℓに約2ヶ月漬けてから、毎日ワイングラスに1杯ほど飲むとよい
・消炎、利尿に クコの根の皮(地骨皮)を原料とする漢方薬の清心蓮子飲(地骨皮、黄耆各2g、甘草1.5g、人参、車前子、黄芩各3g、蓮肉、麦門冬、茯苓各4g)を煎じて服用する
・強精、強壮薬 枸杞子1日10gを水400mlで半分に煎じて1日3回服用する。精力減退には朝鮮人参4g、イカリソウ10gを一緒に煎じるとよい。
果実は、酒に浸け、若葉はゆでておひたしやクコ飯にして食べると美味しく、焙って乾かしお茶代わり「煩いを除き志を益し、目を明らかにして渇きを止める」と、余すところ無く利用できる薬草であり、「奈良の昔話し」にある久米仙人(くめせんひと)が愛用した長寿のシンボル仙人杖は枸杞の枝という。
・天ぷら・お浸し・クコ飯(葉)
若葉をさっとゆでて、ひたし物やあえ物に。クコめしは若葉をさっと塩ゆでにしてしばらく冷水に晒し、かたく絞って刻み、炊き上げた塩味のごはんにまぜる。
・クコ酒(実)
生でも乾燥した物でも、果実を2~3杯の焼酎に漬け、果実は1~2ヶ月で引き上げる。さらに6~8ヶ月熟成させると、赤味の帯びた淡い黄色の酒となる。
枸杞葉は滋養強壮薬;枸杞子は高血圧、めまい、肝臓疾患、貧血、腰膝疼痛;地骨皮(根の皮)は解熱、強壮薬、咳、多汗にそれぞれ効果があります。以上を合わせて用いると、四蔵(心肝腎脾または肺肝腎脾)の熱を除き、四蔵の虚を滋する。保命延寿の効能があります。
むかし吉野の竜門寺にこもって神通飛行術の得とくの修行をしていた二人の青年がありました。
一人をアツミといい、もう一人をクメといいました。竜門岳にのぼって山中をかけめぐり、滝に打たれたりしてそれは厳しい修行でした。アツミはこの秘術を先に修得して仙人となり雲にのぼりました。
後になったクメも更に修行に励み、やっとの事で空を飛べるようになりました。
吉野川を越える時、川のほとりで若い娘が着物を洗っていました。すそを捲り上げて、白いすねをあらわに出していました。クメはいやしい心がムラムラとおこり、そのとたん長い間の修行した神通力は消えて、女の前に落っこちてしまいました。クメはもとの人間となりその娘を妻として夫婦仲良く暮らしました。
そんな頃、天皇は高市に都を造ろうとなさっていました。クメも夫役に呼び出され、他の人夫達は、「あの、クメはもと仙人、スケベ心さえ起こさなかったらこんな辛い仕事をさせられなくてよかったのに」。
この話しが役人に伝わり、行事官はたわむれに「この木材を手で運ぶよりは、仙術で山からここへ飛ばしてもらえれば早いものだがなァ」と、いいました。
クメは7日間、断食をして再修業をしました。そしてついに8日目の朝、にわかに雲がくもり暗夜のごとくなったかと思うと雷が鳴り渡り雨が激しく降って、あたりが見えなくなりました。やがて空は晴れ渡り、そのときたくさんの木材が南の山から飛んできて都を造ろうとしている場所に積み重ねられていました。
これを知った天皇は恩賞として免田三十町を久米に与えられ、クメは喜んでこの田をもらい、一生楽しく暮らしたといいます。
その土地に建てた寺が橿原神宮のそばにある、久米寺です。寺を建ててからの久米は、薬師如来をまつり、自分の姿までを木像にして寺に残し、一生病気にかからんという竹の箸も作ってみんなに配ったという事です。
なんとも 愛敬のある久米仙人ですね。でもこのような仙人は大和には今もそこらに居ると、思うのですが