キク 菊花・野菊花(キク科)
Chrysanthemun morifolium HEMSL,(キク)
Chrysanthenum indicum var.procumbens Nakai(ハイシマカンギク)
[気味]苦・甘、微寒
[帰経]肺・肝
[主治]頭と目をスッキリさせる。血管の通りをよくする。湿邪による麻痺を除去、肝を養い、目を明らか にする。諸風・頭眩・頭痛・眼目の腫れ痛みなど、上部の熱を治し、枕にすれば頭目の疾を除き安眠となる(疏散風熱、平肝明目、清熱解毒)。
菊花(きくくは)平 風邪(ふうじゃ)眼(まなこ)の はれいたみ 泪(なみだ)いづるを よくとむるなり
菊花こそ 新花(しんくは)をもつて 上(じょう)とすれ きざみて用(もちいよ) 火をば凶(いむ)てふ
(橋本竹二郎訳『新編和歌能毒』)
シマカンギクの変種で、中国中部原産。多くの観賞用の菊の元であるイエギクは古代中国で、このハイシマカンギクと中国北部原産のチョウセンノギクとの交配で作られ、日本には平安時代に渡来し、それ以後日本で多くの品種が作り出された。
もとは薬用に導入され、その後に花を愛でる傾向が強まり、やがて有用性が薄らいだものと考えられます。
生薬では、総苞を含む頭花を乾燥した「野菊花(のぎくか)」と、厚もの中輪咲きの筒状花を摘み取った「菊花(きくか)」との二種類が市販されています。肝を養い、目を明らかにするという功能は同じで、いずれも新鮮なものを佳品とします。秋田地方に栽培される、「食用菊」や「きく畳」など薬用として優れた逸品と言えましょう。
旧暦の九月九日(新暦の十月)を五節句の一つ「重陽の節句」、またの名を「菊の節句」(この日をクニチ・クンチ、あるいはオクニチ・オクンチとよぶところが全国的にみられる)とも言われます。重陽の節句とは、「9と9」は、中国では9は一番大きい陰陽の陽の数字にて、この9が並ぶめでたい日なので、この名があります。菊の節句とは、この日に、菊の花を酒杯に浮かべて飲むと長生きが出来るといいます。これは、昔中国の慈童という人が、菊の葉からしたる露で霊薬となった谷の水を飲んだところ、七百年たっても少年のままの姿だったという伝説によるものす。また厄払いになるという伝説もあります。
家庭で栽培されている小さめのキクを利用します。
・菊花湯 菊花にわずかな甘草を加え、お湯を注ぐと甘味とキクの香りとが味わえ、爽やかさとともに頭や目の緊張を解きほぐしてくれます。
・菊花茶 5gの菊花をガラスのポットに入れ、沸騰した湯で洗い流し、次に沸騰した湯300mlを入れます。淡く金色の茶水が清らかな香りを放ち、口当たりの良い、まろやかな、少し苦味と甘味の混じった味わいが楽しめます。
・料理ギク キクの頭花は、ここで舌状花のみにほぐされ、そのまま汁の実にして食べ、または塩漬けにして保存します。それを天日乾燥、または軽く蒸し乾かして菊海苔(きく畳)を作ります。これらは、そのまま湯に浸してお茶代わりの飲料としたり、もどして酢漬けにして食べたり、または薬として用います。
・菊枕 安眠枕として、キクの花を集めて乾燥し、これを薄い布に入れ、枕の上に置いて休むと良い夢がみられるといいます。この菊枕は「頭風」に効果があり、頭痛の他に神経系統の病をなおす。頭風とは、激しい頭痛が長く治らず、発作が起きたり止んだりする。多くは風寒が経絡を犯す。また、頭痛・眩暈・口眼喎斜・頭痒多ふけに効果あります。
・菊酒 現代の中国でも菊の花を乾燥させて茶葉に混ぜるなどした「菊茶」が飲まれますが、日本の菊酒の場合は普通生花を使います。現在は日本の一部の料亭などで食用菊を浮かせた菊酒が客に供されることがあります。
製法は江戸時代の資治通鑑には二種類の製造法が紹介されています。
一つ目は、菊の花びらを浸した水で仕込みをするというもので、有名な加賀の菊酒はこの製法で作ります。
二つ目は、現在梅酒などを造る時の要領で、氷砂糖と一緒に寝かせた菊の花びらを焼酎に漬け込むものです。
眼病や婦人病に効果があると、江戸時代に広く薬酒として愛されました。
・会席料理の中に、刺身料理の添え物としてキク、シソ、ワサビ、千切りダイコンなどがありますが、この時のキクを一緒に食べるとよいでしょう。その訳は、生物の刺身が胃に入ると腐敗し、その毒素が肝臓を犯します。その毒消しにキクが働くからです。
春のサクラに対して日本の秋を象徴する花となりますが、それが決定的になったのは、鎌倉時代の初め、後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、「菊紋」を天皇家家紋とした頃からです。また、九州の豪族菊池氏も家紋に「菊花」もしくは「菊葉」を使用しています。
山の上の水源に菊がたくさん咲き、そこから流れ出る水を飲んでいた村人が長生きをしたという伝説が日本や中国にあります。
「昔々、甲斐(かい)の国にキクがたくさん生えている山がありました。この山から流れでる清らかな渓流の水がキクの根もとを洗ってくるので、日頃その水を飲んでいる人たちはとても寿命が長い。まるで千年間生きているツルのように長生きするというので、そのあたりは都留郡(つるぐん)・鶴郡と呼ばれるようになった」そうです。
かひがねの山里みれば あしたづの 命をもたる人ぞすみける
雲の上に菊ほり植えて かひの国 つるのほこりを移してぞみる
(和歌童蒙抄(わかどうもうしょう))
中国にも同じような伝説があり、中国唐代に編纂されて『芸文類聚八十一巻、薬香草部・菊の条「風俗通」』に、「南陽麗(れつ)県(けん)に甘谷あり、谷の水は甘美なり、その上の山には大いに菊あり。水は山上より流れ、下はその滋液を得。谷中三十余家あり。また井を掘らず、ことごとくこの水を飲む。上寿は百二三十歳、中寿は百余歳、下寿は七八十歳なり。これを大夭(たいよう)と名づく。菊花は身を軽くし気を益すが故なり」(守屋美都男訳・注、『荊楚(けいそ)歳時記』より)と書かれています。
昔から、健康長寿の薬草として尊ばれていました。
平安時代の貴族の習慣で、重陽の日に菊の花に植物染料で染めた黄色の真綿を被せ、明くる早朝に朝露を含んだ綿を菊より外し、その綿で体を拭(ぬぐ)えば菊の薬効により無病であるといいます。菊に真綿を被せることを「着せ綿」といい、重陽の節句に行われる宮中の習慣。重陽の季語でもあります。
『医心方』巻二十六仙道篇、『大清経』に、キクを服用して齢を延ばし、寿命をふやして、天地と共に守りあって死なぬようにする方法は、それぞれの季節に応じて最もよい成分のある部分を採取するようにと説いています。春の芽生え苗を更正(こうせい)、夏の茎を周盈(しゅうえい)(別名周成(しゅうせい))、秋の花は日精(につせい)、実を神精(または神華、神英)、冬の根を長生という。
『和漢三才図会』(1712)では仁徳天皇の73年に異朝より青・黄・赤・白・黒の菊の種が渡り、筑前の博多で初めて栽培したと記されています。『紫式部日記』には、前栽の霜枯れた菊の美しさや、菊の「きせわた」の神話があります。
李時珍著『本草綱目』には、「菊は春に生まれ、夏に茂り、秋に花咲き、冬に実がなる。四季をことごとく受ける。
露霜を経、葉は枯れても落下せず、味は甘苦、性は平和なり。昔の人が言うには、その働きは風熱を除き、肝を益し陰を補い、これ金水の精英を得て、金水の二臓を益する力があることを事が知らず。水を補い、以て火を制し、金を益して木を平となし、木が平となれば風熄、火降りれば熱は除く。これを用いて諸風頭目を治す。
黄色なるものは金水陰分に入り、白きものは金水陽分に入る。赤きものは婦人血分をめぐらす。」と、記されています。
隋代(581-617)の『荊楚(ケイソ)歳時記』に「四民並びに野を藉(ふ)んで飲宴す(中略)茱萸を佩(お)び、餌を食らい、菊花の酒を飲まば、人をして長寿ならしむと云う」。その謂われは、長房と言う人が景に曰く「汝(なんじ)が家中、当に大災厄あるべし。急ぎ家人をして囊(ふくろ)を縫わしめ、茱萸を盛(も)り臂(ひじ)の上に繫(か)け、山に登り菊花の酒を飲まば、此の禍(わざわい)は消ゆべし」と。景は、家人を連れて山に登り、言われた通り夕べに帰りました。みると、家に残してきた鶏、犬、牛、羊などの家畜がにわかに死んでいるのを見て大層驚き早速報告。すると長房これを聞いて曰く「これは代わりとすべきなり」つまり厄(やく)祓(はら)いだと言う。以後この行事になったと言います。茱萸に、呉・食・山の三種があり、ゴシュユ説とサンシュユ説とがありますが、悪気を避(さ)けるには香気の強いことが条件ですので呉茱萸(ごしゅゆ)だと考えられます。
松本清張の代表作『菊枕』(俳人の杉田久女(ひさじょ)が虚子に菊枕を贈った)
菊枕とは、菊の花びらを乾燥させてソバガラのかわりに詰めた枕のこと。ひたむきな久女は、敬慕(けいぼ)してやまない師の長寿を祈り、丹精して育てた菊の花を摘み取り、心をこめて作ったであろう。だがもらった虚子にとっては、女弟子からの想いのこもりすぎた贈り物は、いささかうっとうしかったかも知れない。
後年、久女は狂人となり、座敷牢で生涯を閉じたとある。哀れである。
(この菊枕は「頭風」に効果があり、頭痛の他に神経系統の病をなおす。頭風とは、激しい頭痛が長く治らず、発作が起きたり止んだりする。多くは風寒が経絡を犯す。また、頭痛・眩暈・口眼喎斜・頭痒多ふけに効果あり。)
(安眠枕として、キクの花を一杯集めて乾燥し、これを薄い布に入れ、枕の上に置いて休むと良い夢がみられるといいます。菊は[帰経]は肺と肝に帰入しており、五志の肝は怒・肺は悲(憂)を収める働きがあります(心は喜・脾は思・腎は恐(驚))。