カンゾウ・甘草・甜草(マメ科) Glycyrrhiza uralensis Fisch
寄贈者名 王氏・2003・中国より種子
繁殖法 秋にルート(根茎または走出茎)を切って植え付ける。
[気味]甘、平
[帰経]12経脈
[主治]急な痛みの緩和、トゲ抜き、咽喉痛、痰、咳、声枯れ((補中益気、潤肺・袪痰止咳、緩急止痛、清熱解毒、調和薬性)
甘草はエジプトのツタンカーメン王の墓地から甘草束が発掘されています。『ギリシャ本草』に「喉のヒリヒリするのに良い、あらゆる植物に和し胃、肺、肝、膀胱、腎のために使われる」と。また中国の『神農本草経』上品に「五臓六腑寒熱邪気を治し、筋骨を堅し、肌肉を長じ、力を倍す」。名医別録に「中を温め気を下し煩滿、短気、咳嗽、乾きを止め、経脈を通じ血気を利し、百薬の毒を解し七十二の石、千二百種の草を和す」とあります。
自生していませんが奈良時代に中国から唐の文化と共に渡来しらたしく、刺激緩和・解毒の要薬として、正倉院に保存されている。カンゾウは名の如く“アマキ”“アマクサ”とも、また“国老”“主人”とも呼ばれます。前者は甘さ(ショ糖の50倍)から、後者は国には国老(帝王の師)、家には主人があって治まるとの意味からきています。
中国東北地方の産出品を東北甘草と称し、日本でもてはやされる。あらゆる漢方方剤に配合され、いわば矯味薬(口当たりをよくする)とでもいう重要なもの。世界的にはアメリカが第一位の消費国で、次に日本、醤油、煙草など味付けに用いる。
甘草は 喉の痛みを 和らげて 友のくすりを 導引(みちびく)ぞかし
甘草は 上皮をよく 削(けず)り捨(すて) 生(しやう)か焙(あぶ)るか 方によるべし
(橋本竹二郎訳『新編和歌能毒』)
・疲れ、無気力:炙甘草+吉林人参・黄耆・白朮・茯苓
・疼痛:炙甘草+白芍
・咽喉の痛み:炙甘草+桔梗
・皮膚化膿症:生甘草+金銀花・連翹
注意: ホルモンに似た作用があり、長期服用するとむくみを起こしやすい
・甘草は一味でも使用し、『傷寒論』に熱がなく、寒気が激しく風邪を引いて咽喉が痛むのに甘草湯を飲めば治る。
・咽喉が痛くないのに、声がかすれたり、声が出ないときにも効きます。
・皮膚や粘膜に切り傷や外傷がある炎症が激しく、我慢ができないような痛みの時に、外用あるいは内服すると、数分間で血は止まり、痛みも同時に止まります。
・甘味の主成分グリチルリチンは砂糖の150倍もの甘味があり、副腎皮質ホルモン様の作用のほか、抗炎症・抗アレルギー・解毒作用・肝障害回復作用などの薬効が報告されています。
・急迫症状の胃痙攣・胃痛・神経痛には甘草8gを煎じて温服する。
・食中毒に甘草10gに黒豆10gを煎じて服用。胃潰瘍には甘草俟つgを3回に分服。
・咽喉痛・咽炎には甘草の煎じ汁でうがい。
カンゾウは、ほかの植物たちより遅れて芽を出すので、無造作に草引きをすると、出かかった新芽をポツンと折ったりして悔やむことになります。除草は五月に入ってからが無難です。六月、草丈は一メートルに伸び、葉液に淡紅色の小さい花を穂状に着けます。
ある村に年老いた医者がいました。
ある時、よその村へ往診にでかけて、何日も家をあけました。その留守中、村では病人が次つぎにでたため、みんなは、医者の帰りを首を長くして待っていました。留守をあずかった医者の連れ合いであるおばあさんも、気が気ではありません。
「おじいさんは、病気の人にはいつも薬草をあげていたんだが…」
お勝手には、かまどで燃やす干し草がつんであります。その一本をとってかんでみると、甘味がありました。
(そうだ、これを薬の代わりにあげよう。煎じて飲んだところで害にはなるまい。気休めに飲めば、病気も快方に向かうというもの)
おばあさんは、干し草をきざみ、紙に包んで、病気にかかった人たちに渡して言いました。
「これは、先生がお立ちのときに、置いていったお薬で、どんな病気にもいいそうです。これを煎じて飲みなされ」
こうして、何人もの病人が干し草を煎じて飲んだところ、思いがけずよくなりました。
数日後、医者は村にもどりました。病気が治った人たちは、さっそく薬代をもってやってきました。医者は、もう、狐につままれたようです。
「薬代だって? はて、わしは薬など出してはおらんが」
「先生が奥さまにお渡しになったお薬でがす。奥さまが下さいましたんで」
医者は、首をかしげています。
「お前さんに病気が治せるとでもいうのかね?いったい何をあげたのだ?」
おばあさんは、薬代を受け取っておくようにと目くばせして、病人が帰るのを待ち、一部始終を話しました。医者は、目を丸くして驚いて言いました。
「たとえ、その干し草が病気を治せるにしても、みんなが同じ病気を患ったわけではなし。不思議なこともあるもんだ」
よく日、医者は、干し草を煎じて飲んだ人たちに来てもらい、具合を聞きました。その中には、胃腸の悪かった人、咳(せき)が出て痰の切れなかった人、喉が痛んだ人、できもののできた人、それから胎毒(たいどく)(乳幼児の、母胎内で受けた毒といわれているが、実際には、多くは感染性の疾患によるもの)の子供もいました。医者は一人ひとり診察しましたが、どの患者もすっかり治っているではありませんか。
それからというもの、この医者は、その干し草を使っていろいろな病気を治しましたが、この草が、気を補い、胃をととのえ、のぼせを除いて毒をくだすはか、他の薬といっしょに煎じると、ほかの薬草の効めをいっそう引き出す作用のあることを知ったのでした。
その後、その「干し草」は「甘味」があるので、甘草(ガンツアオ)と呼ばれるようになりました。
(繆文渭著『中国の民話』)