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日本列島の真ん中、岐阜県。 そのまた真ん中、岐阜県関市洞戸高賀地区の緑豊かな山里にあるのが, 私たちの薬草苑「才花苑(さいかえん)」です。
平成6年1994年9月28日の開苑より当時2種類からはじめた 才花苑が 現在100種類の薬草が育っています。 (平成18年現在は1800u、12段の棚田)
■ 神薬才花苑(鑑真和上才花苑・分苑):
「今現在、そして未来へと"よろこび・しあわせ・ゆめ"を持ち、過ごすことが出来れば、きっと素晴らしい人生が創られ、健康な毎日を過ごすことが出来るであろう。」 と、思うようになったのは、私の両親が他界した13年前のことでした。 故人の棚橋氏とともに、休日を利用して1年余り長良川水系を旅しました。 1994年(平成6年)の初秋、郡上市大和町大間見地区の山里から少し離れた渓流の傍を散策していると、体長が30cm程のアマゴが悠々と泳いでいる光景に会い、段々田んぼの土手を元気に草刈している90才の田代氏のおじいさんに出会い、"ゆめ"みる"桃源郷"にピッタリと直感しました。
■ 唐招提寺と大明寺境内の薬草苑:
神薬才花苑を開苑して2年目の正月、薬草苑を一緒にしていた親父達と唐招提寺の薬草苑を見学に行きました。 この薬草苑は、私の薬草の師である薬草研究家・橋本竹二郎先生お一人で十年以上前(その当時)から、鑑真大和上への遺徳をしのび建設しておられたものでした。
「私共も、唐招提寺の薬草苑をお手伝いさせて頂けないでしょうか?」と。 何度かアタックする内に、ようやく了承して頂き、1996年(平成8年)から年3回、1999年(平成11年)の薬草苑の休苑まで計12回奉仕に行かせて頂きました。 最初の頃は、勉強不足で鑑真大和上の偉大さを知りませんでした。 が、何度か唐招提寺に足を運ぶ間に、何か分からないのですが、何かしら私の心を引き付け、何か行動を起こさなくてはならなくなりました。
今思えば、「あなたは、鑑真大和上にお礼をしなさい。」という事だったようです。 唐招提寺境内の薬草苑の奉仕を始めて2年目の夏(1997年8月)、鑑真大和上が管長をされていた中国揚州市・大明寺の地を踏みたいと思いが沸きあがり、娘と邵先生夫婦と共に訪問しました。が、昔あったであろう境内の薬草苑は全廃されていました。 が、ゆめにも考えていなかった大明寺管長・能修法師に初めて接見させて頂き、 「鑑真大和上が創建された唐招提寺境内に薬草苑があり、私共も神薬才花苑という薬草苑を持っているのに、本元の大明寺に薬草苑が無いのは不自然です。私共が寄贈させていただきたいのですが。」と、私の願いを申し出ました。 即答されませんでしたが、能修法師から次の様な質問を頂きました。 「薬草苑で出来た薬草は、日本へ持って帰られますか?薬草苑の中に貴方の記念碑を造りますか?」 即座にお答えしました。 「いいえ、何もいりません。薬草苑を造って頂きたいだけです。鑑真和上へのお礼をしたいのです。」
そして、翌年(1998年)の5月「第1回鑑真和上の足跡を訪ねて」の旅を開催し、再度大明寺を訪れた時、能修法師より薬草苑の建設の許可を頂き、1ヵ月後の6月に能修法師自ら来岐して頂き、大明寺境内の薬草苑建設の合意書に調印しました。 それから7年が経過し、「鑑和上様の足跡を訪ねて」の旅は毎年開催され、私共の大明寺訪問は13回を数えました。
又、休苑となっている唐招提寺境内の薬草苑は、金堂修復後に再建されることは、唐招提寺重職(長老・執事長・執事)と了解を得ています。 鑑真和上才花苑・薬草友の会が中心となり、鑑真和上ゆかりの中国大明寺と唐招提寺の橋渡しが出来るようになりました。 多くの賛同者の皆さまのお陰と感謝しております。 今後、この活動を日本全国に拡大し、鑑真大和上を通して、日本と中国の友好に役立つように努力します。
鑑真和上才花苑運営委員会会長 野崎 康弘
■ 神薬才花苑 - しんやくさいかえん - ■
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